競う。

後半生に入り、明るく清潔なジムに移って、一つ、大きな心境の変化があった。それは「人と人が殴り合うところを見たくなくなったこと」。

これまでは、世界トップクラスのボクサーの試合を観て、勉強するために、WOWOWの「エキサイトマッチ」を毎回録画していたのだけど、急に、ボクシングの試合を観ることが嫌になった。人と人が、わざわざ殴り合って、ボコボコになり、血を流しているところなんて、もう、見たくない。

 

昔、習っていたヨガの先生(女性)は、元は水泳選手として、トップクラスのアスリートだったのだけど、ある時、急に「人と競うこと」が嫌になって、ヨガの修業を始めたと言っていた。ヨガは「勝ち負け」をコンセプトとしないから、ポーズの美しさを競う選手権とか世界大会とかは、もちろん、ない。そのヨガの先生の心境の変化が、すごく良く理解出来た。(本来は、空手や柔道等の「武道」も、競うことをコンセプトにしていないと、私は思う)

 

『ハートメイカー』(青山ライフ出版)の中で、世の中には、競うことの好きな人種と嫌いな人種がいる。競うことの好きな子どもに、勉強やスポーツの成績競わせるのは「良い」育児だけど、競うことの嫌いな子どもに、無理に競うことを強要しない方がいい。という主旨のことを書いているのだけど、私は元来の性分としては後者なんだよな、と改めて気付いた。「男らしさ」への憧れから、高校時代より格闘技人生を歩み始めたのだけど、だから、今は、単なる「運動」として、シャドーして、サンドバックを叩いている。

 

学校で習った「世界に一つだけの花」を、小学生の息子たちが、家でしょっちゅう歌っているので、歌詞を覚えてしまったのだけど、もし、この歌を「東京オリンピック」の開会式で、選手たちが合唱したら、おかしいだろうな、と思う。

 

 

それなのに 僕ら 人間は

どうして こうも 比べたがる?

一人ひとり違うのに

その中で 一番になりたがる?

 

 

小池都知事、このアイデア、如何でしょうか?

 

 

 

 

人類に捧げた仕事。『ユニバーサル・マシン』

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